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私が会社勤めをやめて起業した理由~40代・Web制作 芝山さん(仮名)の場合~

いつかは起業したい……でも、「食べていけるだろうか?」「自分は経営者に向いているかわからない」などの不安がよぎり、最後の一歩が踏み出せない人もきっと多いことだろう。そんな不安を拭い去り、思い切って会社を立ち上げ、独立・開業を果たした起業家たちをインタビュー。今回はデザイン会社、Web制作会社、広告代理店などを経て独立し、Web制作個人事務所を立ち上げた芝山さん(仮名・40代)の本音に迫ります。

Web制作 芝山さん(仮名・40代・女性)の場合


PROFILE
●職業:Web制作
●年齢:40代
●経歴:デザイン会社、クリエイターアシスタント、Web制作会社、広告代理店など約9社を経て→個人事業主
●年収:非公開
●家族構成:猫2匹と熱帯魚

子どもの頃からの夢を追いかけていた20代

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芝山さん(仮名・40代)はWeb制作事務所を立ち上げてもうすぐ2年になる。

Web制作、と聞くだけで忙しそう、大変そう、というイメージを持ってしまうが、「営業時間は10時~17時。母親の介護、猫の世話にじっくり時間をかけたいので、最近では週休2日から3日にしてしまいました。それでも売り上げ目標は達成しています(笑)」と意外な答えが戻ってきた。

しかし、この穏やかな日々を手に入れるまでの道のりは、決して平坦とは言えなかったようだ。

「子どもの頃から絵や漫画を書くのが好きで、絵を描けばクラスのみんなから『うまいね』ってほめられて。将来はイラストレーターとか、デザイナーとかになりたいなぁと、漠然と夢見ていました」という芝山さん。

新卒時は、グラフィックデザイナーとしての活躍を夢見て、紙媒体のデザイン会社に就職したそう。

「でも、企業のパンフレット、名刺など、自分がイメージしていた『デザイン』とは程遠い仕事で。クライアントのオファーに心をすり減らす毎日に疲れて、2年ほどで退職を決めました」

そのあとはクリエイターのアシスタントに。作品を生み出すという仕事を10年続けた。

「夢を叶えることができて、本当に充実した日々でした。でもとにかくハード。繁忙期は昼も夜もなく働く、風邪をひいても高熱を出しても休めない、収入も安定しない……。

ほかに当時は、周囲にヘビースモーカーが多かったので、長時間タバコの煙を浴び続けることがつらくて。10年頑張ったところで、これから年齢を重ねても続けていくのは厳しいと思うようになりました」

「サラリーマン」なるものを経験してみよう

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そこで芝山さんが考えたのが、サラリーマンになって安定した生活を送ること。

「私の両親は職人で、サラリーマン生活とは無縁でしたので。どんなものか見てみたいという気持ちもありました」

またこの頃はiMacが発売されるなど、アナログ時代から、誰もが仕事でもプライベートでもパソコンを使う時代への転換期だった。

「それまでパソコンとは無縁でしたが、やっぱりクリエイティブな仕事がしたいという思いもありましたので、iMacを購入し、転職前に独学でHTMLを勉強しておきました」

まずは派遣社員として、CMSにテキストを入れる業務、出荷前のパソコンソフトにバグがないか検証する作業を経験する。

「続いても派遣で、業界新聞社に入社。出版物のオンライン版を作る部署で働くことになりました。でも、担当者は私1名だけ。初心者なのに、周りに教えてくれる人が誰もいない状態でした。

その時点でCSSが書ける程度のスキルだったのに、PHPで書かれたシステムとデータベースが先に走っていたので、とにかく動かさなきゃいけないという事態に。慌てて本屋さんでマニュアルを買ってきて、基礎的なところは独学で学び、あとはネットで検索して乗り越えました」

仕事的にはハードだったが、安定した会社で、憧れのサラリーマン生活にはなかなか満足だったという。

「ここでは派遣で3年、社員として3年、合計6年勤めました。残業もほぼなく、正しい生活リズムが身に付きましたし、初めてボーナスももらいました」

ではその生活をずっと続けようとは思わなかったのだろうか?

「安定は魅力でしたが、やはりひとりで仕事をやっているのが、ずっと不安でした。自分のやっている方法は正しいのか、レベルは高いのか、低いのか、比べる人も聞ける人もいませんでしたから。やっぱりちゃんとした『手に職』を身に付けたい性分なんですね」

そこで、さらに転職。短期で契約社員として、Web制作、システム開発を行う企業で働くことに。

「半年のプロジェクトに参加し、初めて共同作業を体験できました。そこでの収穫は、自分のやっている方法が間違っていないと確認できたこと。周りの人を見ていても、自分で調べたり、仕事として経験したり、独学に近いかたちでスキルを上げていることを知りました」

ここでのプロジェクトが終了した後は、Webメディア、Webデザイン会社などに短いスパンで勤めることに。

「システム、デザイン、ディレクターとひと通りのスキルが身に付いていたので、転職先はすぐ見つかりました。ただ、会社が倒産したり、命の危険を感じるほどのブラック企業だったりで、どこも長続きはしませんでした」

サラリーマンには疲れたけど、40歳過ぎてフリーって??

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また憧れのサラリーマン生活も、社員になると、会議やお付き合いなどで、業務以外に時間を取られることが多く、本来の仕事に集中できないと感じることが多くなっていった。

「サラリーマン家庭で育っていないせいか、会社に対する帰属意識がもともと希薄で。自分のスキルを最大限に活かすためにも、『フリーランス』という選択も視野に入れるようになってきました。

でも、そのときすでに40歳過ぎ。『今更、無理なのでは?』と迷う気持ちもあり。最終的には次の転職先を最後に、ここでもうまくいかなかったらフリーになろうと思いました」

最後に選んだ会社は広告代理店。イベント事業がメインの会社だが、Web の受託制作も行っており、芝山さんはWebディレクターとしての業務を担うことになる。

「Web以外にも、イベント事業にも参加すれば世界が広がるかなと思ったのですが。そこも人材不足で、Web以外の仕事をする余力はありませんでした。

また、営業部は別にありましたが、Webのことはわからないと言われて。仕事を取ってくるのも、見積もりも、制作するのも全部私ひとりでやる状況でした。その仕事のやり方自体がフリーと一緒なのでは?と思っていましたね」

勤務状況といえば、通常は夜8~9時に帰れるという良心的な(?)会社であったが、繁忙期には終電帰りが続いたという。そして、「これだけ貢献しているのに、この給料?」という不満もない訳ではなかった。

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母親が突然倒れ、介護が必要に

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「そんななか、母が病気で倒れてしまいます。それも自発呼吸ができず、人工呼吸器をつながなければ生きられないという難病でした。一生自宅では生活できず、寝たきりで入院生活を続けなければならないという現実を突きつけられたのです」

病気が発症し、難病だと診断されるまで、最初に入院していた大学病院から一生お世話になる今の医療病院に転院するまでの期間は、付き添い、転院先の確保など、先の見えない不安な日々で本当につらかったという。

「たびたび仕事を休んで母のところに行かなければならなかったのですが、同じチームのメンバーが私の仕事をフォローしてくれることはありませんでした。会社ってみんなで助け合えるというメリットがあってこそだと思うのですが……。ここでとどめを刺された感じでしたね」

そこで、会社を辞めて個人事業主になる決意を固めた。

「ただ、私しかわからない案件をたくさん抱えていたので、会社には半年前に辞めることを伝え、半年間で責任を持って全部終わらせると約束しました」

半年間は仕事を片づけるのに精いっぱい。起業準備をする余裕はまったくなかったという。

「その時期、勤めていた会社で2年ほどお付き合いのあったお客さんが、引き続きWebサイトの運用をお願いしたいと言ってくださいました」

そのお客さんの仕事を引き継げる人が社内にいなかったこともあり、お客さんの仕事を引き受けることを会社に承諾もとれました。そのため、退職したらすぐに仕事を開始できるよう、有給休暇の消化期間1カ月で起業の方法を調べ、開業届も出して、パソコンや電話などの機材も大急ぎで一式そろえたという。

「手続きはネットで調べながら、淡々とやりました。意外とそういうの、苦にならないタイプなのかも。このとき、スモビバ!で『個人事業主のための開業・廃業届出書の書き方と申請』という記事を見つけ、参考にしました」

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40歳を過ぎてフリーになることについて、迷いを拭い去ってくれたのは、大好きな叔母のある決断だったという。

「母の妹は夫婦でコンビニのオーナーをしていましたが、夫が脳梗塞で倒れ、介護とオーナーの仕事をひとりで担うことに。そして、夫を看取ったあと、すぐに店をたたみ、コンビニのバイト店員として働いている最中に、突然、終活宣言をしたんです。『これからは伊豆の高齢者専用マンションで暮らすことに決めたわ!』と。

同年代ならともかく、親の世代ですからね。その瞬発力や行動力は見習おうと思いました」

フリーは想像していたよりずっといい

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「フリーって仕事のコントロールがしにくくて、ひとりで何でもしなきゃいけないから時間がどんどんなくなって、身体を壊したらどうしよう……なんて心配もありました。しかも、Web制作の主なクライアントは制作会社、代理店です。残念ながら、フリーランサーたちが代金を踏み倒されたり、値切られたりという前例がない訳ではありません」

ただ、フリーにとって大切なのは、仕事を断る勇気を持つ、見積もりの金額に対して値引きの交渉をされても折れないなど、自分で自分のルールを作っておくことだそう。

「あと私はフリーランスといえど、企業に発注するのと変わらないクオリティーを生み出せる自信はあるので。自社Webサイトでも『こいつはわかってるぞ、絶対だませないぞ』という感じを醸し出しています(笑)」

結果的に、労働に見合う金額でクライアントと対等に取引し、リソース収入を自分でコントロールできているという実感があるという。

10年、20年後を見据えて、仕事の幅を広げていきたい

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よく言われるのが、個人事業主で成功するためには、何かひとつアピールできるものを持つべきということ。芝山さんにとってそれは、個人的にも大好きなWordPressだという。

「今、全世界のWebサイトの30%以上(※)がWordPress。これは今後20年後も続くのではないかと思っています。ただ、現在はWordPressを用いたWeb制作の仕事をしていますが、新しい技術もどんどん出てくるので、体力や気力がないと続けていくのが相当厳しいと感じています」
(※) 【参考】 マイナビWordPressが増加 – 9月Webサイト向けCMSシェア

そこで今後、力を入れていきたいのが「若手の育成」。

「Web制作や開発はブラックというイメージがあるせいで、若い子に敬遠されるみたいで。私が正社員のとき、採用募集を担当したこともあるのですが、20代は応募ゼロ。30後半~40代がチラホラという感じでした。

万が一入社してくれたとしても、多くの企業では余裕がなくて、研修や教育を実施していません。私も同じ経験をしましたが(苦笑)」

これでは将来Webスキルを持っている若者がいなくなるという危機感を抱いた芝山さん。オンラインのプログラミングスクールでWordPressの講師としての仕事をスタート、まだ準備段階だが、実際の教室での講座を主催する予定もあるという。

「サラリーマン時代は時間に余裕がなく、目の前の仕事以外のことは考えられませんでした。でも今はこうして、世界が広がっていく感じにワクワクしています。

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肝心のWeb制作の仕事も、おかげさまでお客さんも順調につき、年収も目標額に届くペースですね」

そして何より仕事に充てる時間はサラリーマン時代の半分。収入を時給換算したら、サラリーマン時代よりもだいぶ上がっているという。

「その分、母の病院に行ってゆっくり話をしたり、母の住んでいた家の管理をしたり、猫の世話をしたりと、仕事以外のことと丁寧に向き合えるようになりました。今の生活にはとても満足していますね。あのとき一歩踏み出して本当によかったと思います。それに、人生で無駄なことなんてなにもありません。過去のすべてが今、役に立っていると思いますし、もっとワクワクする未来へつながっていると確信しています」

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Photo:塙 薫子

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