恵比寿で15年。今まさに第二の創業期を迎えた美容室ミニョン 下平和代さん

美容業界において都内屈指の激戦区・渋谷区恵比寿。入れ替わりを繰り返し、数えきれないほどの美容院が立ち並ぶなか、この地に店を構えて以来、愛され続けているのが「美容室ミニョン」だ。女性が個人経営で店を成長させ、人を育て、顧客を飽きさせないようにと掲げ続けたオーナーの信念とは…。「創業16年目にして第二の創業期にいるみたい」というオーナー・下平和代さんにお話をうかがった。
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「これしかない」と思える仕事との出合い
「美容師をしている伯母の影響が強かったと思います。今でも家族が集まって昔の話になると必ず笑われるのですが、『あれ、いない』と母が私を探すと、決まって伯母の店で鏡の前に座っていたんだそうです。小学1年生のときには”24さいでパーマやさんをひらく”と作文に書いた程です(笑)。」
そう振り返るのは、美容室ミニョンのオーナー・下平和代さん。高校卒業と同時に生まれ育った和歌山を離れて大阪へ。夜間は理美容専門学校へ通い、昼は美容院で働いた。「憧れの美容院でやっと働けたことに喜びを感じられたのはほんの束の間。厳しかったですね。仕事は”見て覚えろ”という時代。体力的な厳しさと人間関係にも悩みました。お正月は31日も1日もずっと仕事で、『もう一生、”紅白”は観られないんじゃないか』と思いましたね。」
しかし、大変な思いをしても美容師を辞めたいと思ったことは一度もなかったと下平さん。「この仕事しかない」と決意した理由のひとつに、中学生のときの体験がある。「美容院で髪を切ってもらったら思うようにならず、鏡の前で泣いていたんです。悲しくて、悲しくて。もっとこうしてほしいと思うけど伝わらない。伝える言語を持っていなかったんですね。だから勉強して、お客さんの”なりたい”を叶えて差し上げたいと思ったんです。だから今でも”こうしたかったの”と言ってもらえることがうれしいですね。」という。
仕事、結婚・出産、独立…走り続けた30代
大阪で5年修業を重ねて、24歳で東京へ。勤めた神保町の美容院は9店舗を構える大型チェーン店。そこでチーフを任されるまでになった下平さんは、30歳を前に”ヘアメイク”の世界へと踏み出すこととなった。
「それまでサロンでしか仕事をしたことがなかった私にとって、ヘアメイクの仕事は新鮮でした。まだウェディングのヘアメイクなんてない時代。メイク道具を携えて、披露宴会場を行ったり来たり。広告やCMの撮影にヘアメイクとして関わるようになったのもこの頃でしたね。忙しかったですが、メリハリがあって充実していました。」
その後、恵比寿にサロンを持つカリスマヘアメイクアーティストに師事。数年後、店を引き継ぐチャンスに恵まれた。
「その先生がサロンを統合するために、店をひとつ閉めるというんです。小さな頃に思い描いた”24さいでパーマやさんを”という目標からはずいぶん遅れてしまいましたが、この機会にかけるしかないと思いました。
当時は、既にバブルは終わっていたけれど、それでも前のオーナーへの支払いや不動産の保証金などでまとまったお金を用意しなければならず、公務員をしている主人と一緒に保証協会からお金を借りました。内装をかえることはできなかったけれど、店の看板と、シャンプー台を新しくして、ようやくお店を立ち上げることができました。」
30歳で結婚、32歳で長女を出産、36歳で長男を出産。そして、37歳で独立と、苦しい時期を突っ走ってきたという下平さん。店の経営について「もう大丈夫だな」と思えたのは5年目に入った頃だったという。既に借り入れは前倒しで返済。7年目以降は無借金経営になっていた。
激戦区・恵比寿で店を営むということ
美容院やネイルサロンが多い恵比寿という場所に店を構えて16年目。ご近所さん、遠方の方、大学教授やアナウンサー、シロガネーゼと客層は幅広い。星の数ほどの店があるなかで、下平さんのもとへ通い続けるお客様は、下平さんに何を望んでいるのだろうか。率直に聞いてみると…。
「ラクなんだろうと思います(笑)。いやでもほんとうに。『こんな感じにしたい』というイメージを読み取るのは得意かもしれません。もともと中学のときに思うような髪型にならずに涙した、あの悲しく悔しい思いが私の原点ですから。お客様が求めているものをそれ以上のかたちでお返ししたいんです」
「癒し」「ヒーリング」という言葉も下平さんからよくでる言葉だが、近年よく聞かれる”ホスピタリティ”こそ、美容室ミニョンのオープン時からのコンセプトだ。セット後は眉をカットしてメイクを直し、男性にはスキンケアを施す。お店を出てからの予定に合わせたサービスを提供しているのだ。
「以前、お客様に言われたことがあるんです。どうして時間と電車賃をかけてわざわざ恵比寿に通っているかわかる?って。その答えは『恵比寿に来ればキレイになれる、情報がもらえる、刺激を受けると思うから』というもの・・・。ハッとしました。」
オープン当時は、カットとパーマ、セット、メイク、そして着つけがあれば十分だったメニューに、それ以降は、ネイルやヘッドスパなどが加わった。
さらに今もめざましく進化を続ける美容を追求するために、自身も講習会や展示会へ通い学び続けている。
「美容師の仕事は過酷です。好きで就いた仕事でも、人間関係につまずいて辞めていく子も少なくありません。まだ美容のほんとうの楽しさを知らないのにやめるのはもったいない。だから育てたいんです。」育てる楽しみがあると同時に、若いスタッフから学ぶことが多いと下平さんはいう。
創業16年目のスタート、そしてこれから
1999年5月にオープンして15年半、経営者としてお店を守ってきた下平さんに、経営する上で必要なことについて尋ねてみると、間髪入れずに「主婦感覚」との答えが帰ってきた。「女性のお客様と金銭感覚を共有できなければ、女性相手のお仕事はできませんし、”どんぶり勘定”では経営者としては失格です。」
経営のノウハウは、神保町のサロン時代にチーフを務めたことで培われた。毎月おこなわれる店長会議で予算と売上を発表、来月の目標を立てる。店に戻ってからは、毎日の利益率を割り出し、目標に到達するかどうかしのぎを削る毎日だった。「その時代があったから、今がある」とも下平さんはいう。
「16年目を迎えた今、まさに”第二の創業期”。技術とやる気のある若いスタッフに恵まれ、体も自分で積極的にコントロールできるようになりました。やりたいことはたくさんあるんです。お客様が指名してくれる限り、店には立ち続けたいですね。おばあちゃんになっても”ハワイでブライダルするんだけど”なんてお誘いを受けたら、メイク道具を抱えて馳せ参じますよ!」
- 美容室Mignon下平和代
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1961年、和歌山県生まれ。高校卒業後、美容師を目指して大阪・東京で修業を重ね、サロンワークのほかブライダル・広告などの仕事を手がける。1999年、勤めていた美容院のあった現在の場所に「美容室ミニョン」をオープン。高い技術とサービス精神あふれる温かな人柄が支持され、著名人や遠方から通う顧客も多い。ヘアメイク、ヘッドスパ、ネイルケア、パーソナルカラー診断など”美”をトータルで提案するサロンとして16年目を迎えた。