「分とく山」野﨑洋光さん 「自分の分を知ること」それができればきっと成功しますよ。

アテネ五輪では長嶋茂雄氏の要望で野球の日本代表チームの料理番も務めた野﨑洋光さん。料理長を務める「分とく山」の開店から、今年で25年を迎えたが、決して気軽に足を運べる価格の料理店でないにもかかわらず、長きに渡ってお客さんをとらえて離さないその理由とは何なのか。野﨑さんならではの料理人としての哲学、飲食店経営の極意に迫る。
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普通のことを普通に続ける大切さ
大規模な調理場を持つ店での修業時代を経て、野﨑さんが料理長として「とく山」を任されたのは27歳の時のこと。実は、その少し前に、野﨑さんは自分で店を経営し、半年ちょっとで失敗してしまった苦い経験を持っている。
「当時は27歳で、自分ではなんでも出来ていると思ってましたけど、あとから思えばなんにも出来ていませんでしたね。器量もなかったんでしょう。しかも、店を潰して仕事がないだけではなく、ヘルニアも患っていました。治療のため、毎日のように病院に行くもんだからお金も減るわ、付き合っていた女性にも逃げられるわで。たかだか27年しか生きていないのに、”人生、これで終わったな”と思いました(笑)」
そんなどん底から這い上がるため、野崎さんは、以前から「料理長に」と誘われていた「とく山」のオーナーからの話を受けることにした。すると、今までの価値観が一変するようなことがおきた。
「スタッフが若い子と僕しかいないのに店が年中無休になったんです。意地もあったし、一度失敗している反省も込めて、休まず働きました。朝、市場に行って、ランチ、夜の仕込み、営業を終えたら帳簿もつけて。毎日休まず、遊び暇もなく仕事だけしていたら、半年が過ぎたころには黙ってても貯金が100万になってたんです。真面目に仕事をしていればお金も溜まるし、人も信用をしてくれるんだなぁと。少し前までは人生終わりだと思ってたのに」
1989年には、自身が目指す日本料理のスタイルを追求するために「分とく山」を立ち上げた。開店した当初はバブル期のピーク。高級食材を贅沢に使った豪勢な店が流行る中、「分とく山」は、看板もなく、カウンターだけのこぢんまりとしたたたずまい。料理はおまかせで、1万5千円のみ。一風変わった存在だったため、「こんな店はすぐにつぶれる」と専門家に酷評されたこともあったという。だが、景気に左右されることなく「予約の取れない店」と評判になり、今では麻布界隈の和食店で一番の老舗となった。ここまで続いた秘訣を伺うと、「普通のことを普通にやっていけばいいんですよ」と笑顔を向け、さらにこう続けた。
「ただ、その「普通」が普通じゃなくなっていくから問題なんです。最高の人材、食材を集めればいいのかと言えば、それを過剰にやったら続かない。人間ついつい慣れてくると違うことをしてみたくなるけど、奇をてらったものばかりやると、お客さんも疲れちゃって、また足を運んでくれなくなります。やるにしても、なぜこれをしたいのか、自分の哲学をお客さんにきちんと伝えられないと、長続きはしないと思うんですね。」
「自分はそれをやる器量があるのか、自分の店は今どのラインにいるのか。常に、自分の分を知って、的確に物事を見ることができないとダメなんですね」