花くまゆうさくさん「一歩前に出る勇気があれば、なにかあるし道は開けますよ、たぶん。」

ウェブや雑誌、書籍などさまざまなメディアで強烈な個性を放つ、漫画家・イラストレーターの花くまゆうさくさん。アフロの男性と、禿げ上がったおじさんという2人のキャラクターが織りなす世界に、思わずプッと笑ってしまった経験がある人は少なくないだろう。映画化もされた『東京ゾンビ』等の漫画のほか絵本やエッセイも手がけるなど、15年以上にわたり第一線で活躍を続ける花くまさんに、漫画家として独立するまでのエピソードや、これから独立を目指す人へのメッセージを伺った。
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蛭子さんの漫画に衝撃を受け、漫画の道を志す
花くまさんが漫画の世界に進もうと決めたきっかけは、ある漫画との出会いがきっかけだった。
「高校生の時のことです。僕はずっと狭い団地住まいだったんですが、それが凄いコンプレックスで、ドラマで見る普通に子供部屋がある一軒家に異常に憧れてたんです。それで、高卒で普通に働いても団地から抜け出せないなと思いまして。「なんかしなきゃ!」と道をさがしてたんです。そんな時、ミュージシャン・遠藤ミチロウさんのカセットブック『ベトナム伝説』に載っていた蛭子能収さんの漫画を見て、すごい衝撃を受けたんです。それから蛭子さんの作品が載っていた『ガロ』を読むようになり、さらにイラストレーターの湯村輝彦さんを中心とした”へたうま”ムーブメントを知って、この世界に行きたい! 漫画家やイラストレーターになりたい!と思うようになりました」
早速、漫画の描き方が解説されている本を買ってきて勉強し、漫画を書き始めた花くまさん。高校在学中から漫画雑誌に作品を持ち込み始め、18歳で漫画家デビューを果たす。とはいえ、まだコンスタントに仕事がくるわけではなかった。そこで「とりあえず時間を稼ごう」と考え、イラストレーション科がある美術系の専門学校に進学。
「専門学校在学中は漫画を描いて雑誌に持ち込み、卒業後もアルバイトしながら漫画を描き続けました。当時は、漫画が『ガロ』で入選することと、雑誌『イラストレーション』の誌上コンペティション『ザ・チョイス』で入選するのが二大目標でした。蛭子さん根本敬さんみうらじゅんさんなど憧れてる漫画家はみんなガロ系だし、当時のイラストレーターはみんな『ザ・チョイス』出身だったので、この二つが最大目標でした。世の中はバブルで華やかな頃でしたが、僕は地下鉄の窓に広告ステッカーを貼るバイトをしながら漫画を描く生活。文字通り、地下にこもってエネルギーをためながら、表に出る機会をうかがっていたわけです(笑)」
雌伏の時は、24歳まで続く。